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イノーを呼んでくれ [今詩]

 イノーを呼んでくれ

誰も来なくなった三階建て
吹き抜けのホールの底で重苦しく
「イノーを呼んでくれ」の声が蠢き廻る
時に息遣いは螺旋階段を登ろうとするけれど
決して最上階に辿り着くことは無く
何時の間にかホールの底でしゃがみ込む

もうイノーは床の染みでしかないにしても
そこから沸々と立ち昇る香気は未だ肉声を保持している

そしてどでかい水槽の裏板を外せば島への砂州が続く
身寄りの無い言葉は交わることも無く外洋の無口へと導かれるだろう

一体この屋敷を売らねばならぬ理由が有るのだろうか
たとえ跡形も無くイノーの痕跡が失われたとしてもだ
この屋敷に関して誰も一人称の意志を語るべきでは無いのに

こんな脆い地盤の上に屋敷を建てたのもイノーの願いなのだ
皮肉屋は忘れられることにこだわっていた
更地になったこの場所で他愛のない親子が
「良い景色だね」なんぞ話していたら
もう大喜びだろう

でも未だ誰かがイノーを呼んでいる
執拗に呼んでいる

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ピンポンジャック [今詩]

 「ピンポンジャック」

月の光で
尚更青ざめた君が
このちっぽけな街を
ピンポンダッシュして
駆け抜けるなんて
毎度の事ながら愚かなことだ
本当に君が押したいインターフォンは
ルリーの家だけだってことは知っているさ

君の動きに連動する放火魔が居るから気を付けろ
福音青年団のリーダーで淡々居士だった君が
此れってどう考えても無鉄砲だ

誰かの溜め息から放たれた小人たちが居て
君に悪さをしているに違いない
連なった小人たちの質量は思いの外にズシンとばかり来て
経典の表紙の上に鎮座しているのだろう

明日「月瀬の園」で会おう
きっと何時か君を裏切ってしまうだろうって事を
素直に言うつもりさ

兎に角無駄の事は止めよう
ルーリーの家ばかりじゃ無い
何処の家のインターフォンも電池が抜かれている
・ ・・・・僕の家以外は・・・ね

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猫得 [今詩]

 「猫得」

今日はいっぱい猫孝行しよう
チロルが好きな海の匂いのするブーツを
思い切りクンクンさせてやろう
勿論リンの大好きなブラッシングも・・・ね

空気を読み過ぎて
ヘロヘロになったこの1週間がやっと終わった
今日は猫たちの無作法な空気だけを
身にまとっていよう

ねえチロル
もう直ぐ坂の上から修道院長が降りて来て
不機嫌そうな一瞥を投げて来ると思うけど
決して「シャーッ!」はしないでよ
だって僕は彼にちょっとだけ借りが有るからね

一度だけ告解に訪れた時
あの気取った赤い房の付いた靴の中に
クワガタを仕込んでやったのを覚えているだろう

平凡極まる話だけど
猫たちの肉球は
抗い難い記憶みたいなものだし
こいつを弄ぼうとする僕の指に
至上の優しさで甘噛みするリンが愛おし過ぎる

そして考えたくも無い修道院長のことなのだが
日増しに壊れて行く気がするのだ
その隆起した背中をチロルが恐れているのは間違い無いことだ

あの日彼が
「君は猫で得をしているのだよ」と
看破したように言い放ったのを
僕とチロルとリンは不満そうに聞いていたんだ

もうそこまで修道院長の靴音が近付いて来ている
またしても僕は二猫のバリアーの中で安全を確認している
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